化学物質管理

CMC letter No.4(第4号) - [所長室から]

連載第1回 PRTRデータを一番入手したい人は誰?

化学物質の管理に関する解説や話題と言えば、どうしても難解なものになってしまうことがあります。
「所長室から」では、一般の人にもわかりやすく化学物質管理に関する肩の凝らないお話を提供してまいりたいと考えています。
どうぞご期待下さい。

私が10年ほど前に通商産業省基礎産業局(現在の経済産業省製造産業局)化学課に在籍した頃、有害大気汚染物質に関する自主計画に携わり、いろいろと調べたことがある。その中の塩ビモノマー(クロロエチレン)排出削減計画の一つに、「塩ビモノマー製造プロセスの中の酸化プロセス(オキシクロリネーションプロセス)を空気酸化から酸素酸化に変更する」といった計画があった。

塩ビモノマーを製造する際には必ず酸化プロセスを経由するのであるが、「空気酸化から酸素酸化に変えると、なぜ、塩ビモノマーの排出削減対策技術となるのか?」不思議に思い、関係者に聞いてみた。その回答を知れば当たり前のことだった。

もし、空気で酸化すれば空気中には約20%の酸素しか含まれていないわけだから、残りの80%の窒素については、どこかで合成プラントの外へ吐き出さなければならない。つまり、永久に燃え残りの窒素だけ取っておくことはできないのである。

しかし、燃え残りの窒素には反応過程でどうしても塩ビモノマーが含まれてしまうため、窒素を外へ排出しようとすれば、同時に塩ビモノマーが出てしまうという話である。

一方、酸素酸化にすれば、それは全て酸化反応で消費されるわけだから、排出ガスは無く、つまり塩ビモノマーも大気中に漏れないということだった。

「何と単純明快!素晴らしい!」

あまりにも明快で感動した。

ところが、さらに話を聞いて行くと、当時、国内メーカーの半分程度の会社(工場)は、すでにこの酸素酸化プロセスを採用しており、残りの会社(工場)はこれから徐々に転換して行くとのことだった。

「なんだ、とっくの昔から事業者は自主的対応を行っているじゃないか…」と思ったが、「じゃ、なぜ、半数の会社ではこの対応が遅れているのか?」とも思った。

直感的には、酸素酸化への転換に莫大なコストがかかるのなら全ての企業が空気酸化のままでいて良さそうだし、また、それほどコストがかからないのなら全てが酸素酸化になっても良さそうである。

「たぶん、今が過渡期であって、プラントの導入時期や導入技術の違いによって異なってきたものだろう」と思ったが、「じゃ、現在、空気酸化で製造している会社の塩ビモノマーや塩ビ樹脂は値段が安いのだろうか?」とも考えてしまった。

さて、それから何年か経って、ある化学工場を見学させてもらったことがある。

その工場では、酸化触媒技術を使った各種製品を作っており、例えば、プロペン(プロピレン)の部分酸化によるアクリル酸などの生産技術では、世界に誇る優れた技術を有しており、酸化触媒を使った酸化プロセスが一つの大きな技術分野(商品分野)を形成しているとの話があった。

私は、塩ビモノマーの話を覚えていたので、すかさず「こちらの工場での生産製品のいくつかはPRTR対象物質ですが、空気酸化を止めて酸素酸化にすれば、相当量の排出量削減が期待できると思うのですが、どうなっていますか?」と質問してみた。

しかし、担当者はとても面食らったようで、プロセスについては良くわからないと言って、なにも回答をいただけなかった。

私個人としては、空気酸化していたものを酸素酸化に変えるのは、技術的にはそれ程難しいことだとは思っていない。ただし、酸化プロセスで重要なのは酸化反応を如何に途中でストップさせるかであって、そういった意味では、反応系によっては、酸素酸化は空気酸化より難しいのかもしれない。ちなみに、途中で酸化反応を止めないとCO2とH2Oまで完全酸化してしまって、何を作っているのかわからなくなってしまう。

だから、「すでに酸素酸化に転換済み」や「検討中」又は「このプロセスでは難しい」といったような回答でもいただきたかったのだが…、なにかとても残念だった…。

さて、PRTR制度(事業者による対象化学物質の環境排出量の届出・公表制度)が運用されて約5年が経過した。もちろん、塩ビモノマーもPRTR対象物質である。

つまり、空気酸化か酸素酸化かで工場ごとに差がつくわけだから、PRTR届出排出量を見る人が見れば、そのプロセスが容易に予想できてしまう。

PRTR制度にはいろいろな意義があるが、私は、当初の大きな意義は、同業者間での比較検討ができることだと思っている。当然、PRTR届出事業者は同業者間での比較検討を一生懸命やっていることだろう。

私が社長なら、真っ先に部下にそれを指示し、自社の排出量が同業他社より多いのであれば、その理由、改善方策等を直ちにまとめさせることだろう。

PRTR制度により、事業者の環境排出量が歴然と全ての国民に明らかになることは、国民の知る権利に応えるとともに、事業者自らが考え、自らが行動することになるわけで、この制度の意義は極めて深いものだと思っている。

私は、この国民のうち最もPRTRデータが必要(重要)な人たちは、その化学物質を排出している事業者自身であって、実は同業者だと思っているのだが…。

[化学物質管理センター 所長 坂口正之]

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