石油の風化
タンカーの衝突や座礁、パイプラインの破損などによって、海上に流出した石油はどのような運命を辿るのでしょうか。流出した石油はいつまでも流出したままの状態ではなく、風や波、太陽光などの自然の作用を受けて、時間の経過と共に、その組成や性状を変化させていきます。このような流出油の変化を「風化(weathering)」と言います。
下記の図は、流出油の風化の過程を模式的に示したものです。風化の過程では、(1)拡散・漂流、(2)蒸発 、(3)溶解、(4)分散、(5)エマルジョン化、(6)光酸化、(7)沈降、(8)微生物分解、などが起こり、流出後の経過時間に伴って、その作用も変化していきます。
【図1】流出油の風化
風化作用は、流出油の性質や気象条件、海水の状態によって大きく左右されますが、一般化すると、下図に示したような時間経過との関係になっています。
【図2】時間経過に伴う風化作用の一般的な変化
(1)拡散・漂流
海上で流出した石油が、最初の段階で主に受ける作用は、拡散と漂流です。拡散は油自体にかかる重力や表面張力によって起こる作用であり、漂流は風、波、潮流、海流などによって引き起こされる作用です。
海上で石油が流出すると、石油は海水よりも軽い(比重が小さい)ため、流出油は海水面上に浮かぶことになります。海面に浮かんだ流出油は、海面上を急速に拡がっていきます。ある程度拡がって油の層が薄くなると、拡散していきます。流出油は、拡散によって広範囲に拡がっていくと同時に、油層の厚さはどんどん薄くなっていき、やがてスリックと呼ばれる10~100μmの薄い油膜が形成されます。海の流れに乗った状態で風による影響を受けるため、スリックがちぎれてパッチ状の油塊群を形成することもあります。
拡散と漂流は、流出油の粘性や流動点、温度、海洋状況による影響を受けます。温度が低い場合は、流出油は凝固するため、拡散はほとんど起こりません。流出油の粘性が高くなるほど拡散・漂流は起こりにくいですが、温度が高くなると粘性は低下するため、温度が高い方が拡散・漂流が起こりやすいです(【表1】)。また、風・波・海流・潮流は、流出油が漂流する方向や速度を決定する要因となります。
拡散・漂流は、それ自体では流出油の量や組成が変わることはありませんが、流出油の表面積が大きくなるため、蒸発、溶解、分散、光酸化、微生物分解などその他の風化作用を起こりやすくするという働きがあります。そのため、拡散・漂流は、風化作用の第1段階としてとても重要な作用です。
海上で流出した石油が、どのように拡散・漂流していくかを予測することは、油防除活動を行う上で非常に重要なことです。そのため、拡散・漂流予測モデルの開発が進められており、石油連盟油濁対策部では開発した「拡散・漂流予測ソフト」を実費で配布しています(http://www.pcs.gr.jp/)。しかし、流出油の性状は、蒸発、光酸化、エマルジョン化などの作用によって刻々と変化しており、すべての要因を加味したモデルを作成するのは非常に困難なことです。
水温 | 石油の種類 | 拡散の結果 |
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10℃ | アラビヤ原油 | 直ちに拡散 |
A 重油 | 直ちに拡散 | |
C 重油 | 10 秒位で20cm 位に拡がり、油の塊が中央に残っている。 | |
C 重油(水分70%) | 油塊のまわりにごく少しの銀白色油膜がとりまく程度でほとんど拡散しない。 | |
20℃ | C 重油 | 直ちに拡散 |
C 重油(水分70%) | ごく少量拡散し、2cm位の拡がりをみせ中央に油がまるく残っている。 | |
30℃ | C 重油(水分70%) | 容易に拡散する。表面にかすが浮き、ガラス壁などにすぐ付着する。 |
(2)蒸発
蒸発は、流出初期に、流出油の量や組成・性状に影響を与える最も重要な風化作用です。
海上に流出した石油は、流出直後から、蒸発によって揮発性の高い成分がどんどん失われていきます。揮発性は低分子の沸点の低い成分ほど高く、沸点の高い重質な成分はなかなか蒸発しないため、後に残される流出油はより重質で粘性の高いものへと変化していきます。流出後、48~72時間以内に、270℃以下の沸点を持つ成分(~C15:炭素数15 以下の炭化水素)のほとんどが失われるとされており、特にC1~C8化合物は、流出後、5時間以内にほとんど全てが蒸発してしまいます。蒸発によって、通常の原油であれば、流出後24~48時間以内に流出量の20~40%が失われると考えられており、低沸点留分のガソリンや灯油は、数時間以内に、そのほとんどが蒸発します。一方、高沸点成分を多く含む重質原油やC重油では、あまり蒸発が起こりません。軽質原油では75%以上、中質原油では約40%が数日間で蒸発すると考えられているのに対し、重質油で蒸発するのは数日間で約10%程度です。蒸発によって軽質な成分から先に失われていくため、後に残された流出油は、時間の経過とともに、重質な成分の比率が増大していきます。そのため、比重が大きくなり、粘度も高くなっていくのです。
蒸発は、温度や風の状態、流出油の表面積によって影響を受けます。温度が高ければ高いほど蒸発量は多くなり、太陽光で油膜が暖められた場合にも蒸発量は多くなります。また、油膜表面を吹く風の速度が速いほど、蒸発量は多くなります。流出油の表面積もまた、蒸発量には大きな影響を与えます。流出油の表面積が大きくなるほど空気に曝される面積が大きくなるため、蒸発が起こりやすくなるのです。
蒸発は、流出油の毒性にも影響を与えます。石油の主成分である炭化水素は、揮発性の高い成分の中に毒性の高いものが多いです。そのため、蒸発によって、流出油の毒性は低下していくのが一般的です。しかし、蒸発した成分は、蒸気となって空気中に移行しただけなので、空気中を漂うこれらの成分によって回収作業員や周辺住民が被害を受けることもあります。
(3)溶解
石油の主成分である炭化水素は、基本的には、ほとんど水に溶けないが、低分子成分、特にベンゼン、トルエンなどの芳香族化合物は僅かながら水に溶解します。海上で石油が流出したとき、これらの可溶な成分の一部は、海中に溶解して流出油から失われていきます。しかしながら、溶解によって失われる量は流出油全体のせいぜい2~5%と見積もられており、溶解が流出油に与える影響は小さいと言えるでしょう。海水に溶解する成分は、同時に揮発性の高い成分でもあるため、溶解よりも蒸発によって失われる量の方がはるかに多いです(10~1000倍)。
ベンゼン、トルエンなどの低分子成分は一般に毒性が高いため、海水中に溶解したこれらの成分が海洋生物に悪影響を与えることが心配されます。しかし、通常、蒸発したり海水で稀釈されたりするため、油膜付近を除いて、海水中の炭化水素濃度がそれ程高くなることはありません。
溶解は、流出油全体に及ぼす影響としては小さいが、流出油の微生物分解という観点からは非常に重要な作用です。微生物にとっては、油膜として存在しているよりも、水に溶解した状態の方がはるかに分解しやすいです。そのため、海水中に溶解した炭化水素成分は、やがて、微生物によって分解され、消失していくと考えられています。
(4)分散
海面上を漂う油膜は、波によって分断され、海中に無数の小さな油滴を発生します。比較的大きな油滴は、海面に再浮上して他の油滴や油膜と合体し、再び海上を漂うことになりますが、小さな油滴はそのまま海水中に分散していきます。このように海水中に油滴が分散した状態は、水中油(oil in water: O/W)型エマルジョンと呼ばれます。分散は、流出油の粘度、油膜の厚さ、気象条件などに大きく左右されます。流出油の粘度が低く、波が高くて海が荒れているような場合は、数日のうちに流出油のほとんどが分散してしまうこともあります。また、油膜の厚さは薄いほど、油膜を破砕する力が少なくてすむため、分散が起こりやすいです。
分散された油は表面積が大きくなり海水との接触面積が増大するため、微生物分解、溶解、沈降などの作用を受けやすくなります。
(5)エマルジョン化 (ムース化)
流出した石油は、海面上を波に揺られながら漂ううちに、海水を内部に取り込んでいきます。取り込まれた海水は流出油中に微細な水滴となって分散し、その結果、流出油は非常に粘度の高いムース状を呈するようになります。このような状態は油中水(water in oil: W/O)型エマルジョンと呼ばれます。油中水型エマルジョンは、もとの流出油よりもはるかに粘度が高くなっており、30~80%の水分を含むために体積も何倍にも膨張します。そのため、扱いが非常にやっかいになり、海上での回収や海岸での清掃作業は非常に困難なものになります。色も、元の黒褐色から茶褐色~オレンジへと変化するため、その形状から『チョコレートムース』と称されることもあります。『チョコレートムース』は海が荒れているほど形成されやすく(海水とよく混合されるため)、ナホトカ号事故の際には、荒天のために、流出した重油がほぼ一夜にして『チョコレートムース』に姿を変えたと言われています。海洋状況に加えて、油中水型エマルジョンの形成には、流出油中のレジンおよびアスファルテンの含量、特にアスファルテンの含量が重要な要素となっています。通常、水と油は混じり合うことはありません。流出油に取り込まれた海水も、波による撹拌作用がなくなれば、流出油から分離してしまいます。油中水型エマルジョンの状態が安定して維持されるためには、洗剤のような乳化剤が必要で、流出油中で乳化剤の役割を果たすのがレジンとアスファルテンです。そのため、これらの含量が多い油ほど油中水型エマルジョンになりやすいです。特に重要なのがアスファルテンの含量で、一般に、アスファルテンを5%以上含む油はムース化しやすく、それ以下のものは海水に分散する傾向にあるとされています。ガソリン・灯油・軽油は、レジン・アスファルテン分を含まないためにムース化することはありません。流出油中の軽質な成分は、前述したとおり、蒸発や溶解によって時間の経過と共に減少していきます。それに伴って、レジン、アスファルテンのような重質な成分の割合が大きくなっていき、そのため、流出油は時間の経過と共にムース化しやすくなっていきます。一旦、安定な油中水型エマルジョンが形成されると、再び水と油に解離することは難しくなり、蒸発・溶解・微生物分解などのその他の風化作用も受けにくくなります。
(6)光酸化
海上に流出した石油は、日中、太陽の光に曝されます。流出油中の成分の中には、太陽の光によって励起され、空気中の酸素と反応するものがあります。これを光酸化といいます。光酸化が起こると、分子内に酸素が取り込まれて、元の化合物とは異なる化合物が生成されるため、流出油の成分組成が変化していきます。光酸化は、太陽の光によって起こるため、夜は起こらず、日差しの弱い曇りの日や雨の日にはその作用が弱くなります。また、拡散・漂流、溶解、分散などは、流出油中の成分が太陽光に曝される機会を増やすため、光酸化を促進させる作用があります。
光酸化を受けやすいのは芳香族炭化水素・レジン・アスファルテンで、飽和炭化水素は光酸化を受けにくいです。光酸化された炭化水素は、分子内に水酸基(-OH)やカルボニル基(-COOH)が導入されるため、極性が増大し、レジン・アスファルテン画分に分類されるようになります。芳香族炭化水素の中では、アルキル側鎖が長いほど光酸化を受けやすいという傾向が見られ、アルキル側鎖が分離してn-アルカンを生成するのではないかと考えられています。長側鎖のアルキル基を持つ芳香族化合物は、他の風化作用(微生物分解、蒸発、溶解)の影響を受けにくいため、これらの成分の除去には光酸化が大きな役割を果たしているのかもしれません。
光酸化された化合物は、元の化合物よりも溶解性が増すことが多く、海水に溶解して流出油中から失われていくこともありますが、同時に毒性も高くなっている傾向があり、周辺環境への影響が心配されるところです。しかし、光酸化されて海水に溶解していく成分の量はそれほど多くなく、また海水によって稀釈されるため、海水中で高濃度になることはほとんどありません。一方、光酸化によって流出油中の成分が重合し、油にも水にも溶けない重質な化合物が生成されることもあります。
また、光酸化された石油は、元の石油よりも、微生物分解されやすくなるようです。
(7)沈降・海岸への打ち上げ
沈降・海岸への打ち上げ
流出油は、蒸発や溶解によって軽質成分が失われていくため、時間の経過と共に、比重や粘度が大きくなっていきます。ムース化した場合には、内部に大量の水を含むことになるため、より一層、粘度も比重も大きくなります。粘度が高くなった風化油には、砂や粘土、有機物粒子などの海中懸濁物が付着しやすいです。このような油に懸濁物が付着すると、比重が大きくなっているために、容易に海水の比重を超えてしまうことがあります。海水よりも重くなった油は、それ以上海上に浮かんでいることができなくなるため、オイルボール(廃油ボール)を形成して海底へと沈降していきます。また、海中に分散した油滴が、海洋生物に摂食され、排泄物に取り込まれて海底に沈降していくこともあるようです。海水中の懸濁性粒子や海洋生物は水深の浅い沿岸部に多いため、沈降は沖合よりも沿岸部で起こりやすいです。
様々な風化作用を受けながら海上を漂流した流出油は、波や潮汐の作用で海岸に打ち上げられます。打ち上げられた漂着油には海岸の砂や粘土などの堆積物が付着するため、海岸から洗い流されて再び海に戻ったときには、海底に沈降していくものもあります。
海岸に打ち上げられた後も漂着油の風化は進行し、軽質な成分は、蒸発したり打ち寄せる波に溶解したりして失われていきます。その結果残された重質な成分は、波に運ばれてきた砂や粘土と混じり合いアスファルト状のタールマットを形成します。
海底に沈降した油やタールマットは、それ以上の風化作用を受けにくくなり、微生物分解もされにくいです。そのため、放置しておくと、かなり長期間にわたって残存してしまうことがあります。
(8)微生物分解
以上のような風化作用を受け、最終的に残された流出油は、最後には微生物による分解作用を受けることになります。環境中には、石油を分解することのできる微生物が数多く生息しており、流出油は、これらの微生物によって最終的には水と二酸化炭素に分解されます。バイオレメディエーションは、このような微生物の作用を人為的に活性化し、流出油の分解を促進させる技術です。
しかし、微生物も、石油中に存在する全ての成分を同じように分解できるわけではなく、レジン・アスファルテンなどの重質な成分は非常に分解されにくいです。そのため、これらの重質な成分は、いつまでも分解されずに環境中に残されてしまうことがあります。
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